menu

NEWS

お知らせ

NEWS

2025/11/01
  • 創業75周年

創業ヒストリー

【 エピソード② 】

  • 戦火を越えて ― 命の重みを知る創業者の原点 ―

タローファームの創業者・小川幸男は、1925年生まれ。

5人兄妹の次男として育ち、15歳のときに満蒙開拓青少年義勇軍として満州へ渡りました。

ホウテン(奉天)で開拓に従事しながら、将来は獣医師を志していました。

 

しかし、時代は戦争へと傾きます。

終戦後、幸男はシベリアに抑留され、極寒の地で過酷な強制労働に従事しました。

伐採作業中の事故で脊髄カリエスを患い、生死の境をさまよいながらも、仲間と支え合い生き抜きました。

 

ある上官が、自らの命の短さを悟り、幸男に残した言葉があります。

 

「落ちぶれて、袖に涙がかかるとき、人の情の奥ぞ知る」

 

粗末な食事を分け合い、命をつないだ日々。

この言葉は、幸男のその後の人生の支えとなりました。

 

  • 帰還、そして母の涙

戦後、奇跡的に日本へ帰還。

舞鶴港に降り立ち、長い旅路の果てに家族と再会します。

帰郷後、母・おきもが幸男の体を洗った桶には、無数のシラミが浮かびました。

母はその光景に言葉を失い、ただ静かに涙を流したといいます。

当時、幸男の体は大病の後遺症で無理がきかない状態でした。

この後遺症は晩年まで続くこととなり、幸男の人生に戦争の傷痕を深く刻むこととなります。

 

ただ、戦後の激動期、帰還した者には仕事もなく、

上田から伊那まで約90kmを自転車で通い、下働きをしながら生計を立てました。

 

  • 養豚との出会い ― 命を育てる仕事へ

1950年、地元農協の畜産技術員・白井氏のすすめで、幸男は養豚を始めます。

当時は「血清豚」と呼ばれる豚の生産が中心で、餌は地域の残飯。

幸男は天秤棒を担ぎ、片道5kmの道のりを毎日歩いて餌を集め続けました。

 

大病の後遺症を抱えながらも、幸男は「豚を育てる仕事」に誇りを持ち、

ひとつひとつの命と真摯に向き合いました。

 

  • 親子で支えた農場

体の不自由な父に代わり、息子の幹雄は小学生の頃から家業を手伝いました。

重たい餌袋を運び、豚の世話を欠かさずこなす日々。

「父を楽にしてあげたい」――その想いが、幼い幹雄の背中を押していました。

 

家族の関係は決してきれいごとではありません。

それぞれの世代に葛藤と闘いがありながらも、互いを支え合い、

本気で生き抜く時間を重ねてきました。

 

  • 激動を生き抜いた、折れない心

戦争、貧困、病、そして家族の試練。

創業者・幸男が生きた時代は、まさに激動の時代でした。

 

その中で育まれたのは、

家族を想い、生活を守り抜くための折れない気持ちと信念の強さ。

どんな困難の中でも前に進む強さこそ、タローファームの原点です。

 

当初は“生きるための仕事”だった養豚も、

時間を重ねるうちに、

「生きる意味」へと変わっていきました。

 

  • 誇り高い産業を、次の時代へ

激動の中で出会ったこの仕事――

それは、家族を支え、人を支え、地域を支える、誇り高い産業です。

 

その精神は、幹雄へ、そして哲生の世代へと確かに受け継がれています。

どんな時代であっても、「豚を育て、支える」という原点は変わりません。

 

タローファームの75年。

それは、家族と地域がともに歩み、養豚という業を、絶やさずつないできたた年月です。

この想いを胸に、私たちは次の100年へと進んでいきます。